aikosakura1004’s diary

シングルマザー歴6年目のシンママ日記。

私がシングルマザーを選んだ理由 退院編(実家)


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手術後無事に退院しました。

鎖骨にプレートを入れる手術で切開部が閉じて、

プレートのネジが鎖骨に馴染んで固定できるまで動かせません。

もちろん重いものも×です。


生後2ヶ月の娘も抱っこ出来ません😢

その為、自宅には帰れず実家の母のお世話になることに、、、。


私が実家に帰り、

我慢出来ない元姑が徐々に暴走します。

元夫は本性がでてきます。



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私は生後2ヶ月の娘が泣いても何も出来ず、

 実家の人間を呼ぶしか手がありませんでした。



私の母にはいくら感謝しても足りません。

娘が5ヶ月近くまでお世話をしてもらいました。


当時、娘は私の母によく懐いて

私は母として認識されていなかったと思います。

ただ突っ立っているだけでしたから_| ̄|○


顔を忘れられないように、

常に娘の視界にはいってアピールするぐらいしかできませんでした😅


お乳も骨のつき方が遅く、

途中で断熱しました。

そもそも片腕で支えきれないため家族の支える手が必要で限界があったこともあり諦めました。


娘が今もばぁばが大好きでばぁばの腕の中で眠ります。

幼い頃ばぁばが一緒に子守唄つきで寝かしつけ&ミルク、入浴の全てをしていたからかな〜。

と思います(笑)





このとき元夫は、

私と娘に生活費を一切渡しておらず


実家の両親が賄っていました。


情けない人ですね。

妻と子供の面倒は一切みず、、、。


ただ飯を妻実家で食い、

私の父より先にお風呂に入り一言も声もかけず、

母が用意した布団で眠って翌朝妻をリハビリにも連れて行かず、


私の父が買った車で帰る。



クズ。

の一言に尽きます。


私が無職の人と結婚したなら我慢できます。

仮にも警察官。

腐っても地方公務員、、、。


呆れて開いた口が塞がりませんでした。


この辺りから

私は離婚を考えるようになりました。


どこがよかったんだろう。


元姑は、私が実家にいることが頭にきていたようです。

(きちんと説明はしました。私は1人で頭も洗えません。トイレも1人では無理でした。

更に重量制限があり、

片腕だけでは娘を1人で見きれないから実家に帰させて欲しいと義理の両親に会ったときに断りもいれています。)


元姑は電話をつかい元舅や家族にバレないように私と私の母に嫌味をちくちく言ってきました、、、。

私の母は、孫と自分でシャワーやトイレにも入れない私の面倒+元夫の衣食の世話までしていました。

それ+父、大学生の弟の世話です。


全て黙って、笑いながらしてくれていました。


元姑の嫌味な電話も、

私には隠してくれていました。


そんな中、

母が遠方の親戚の結婚式にいかなければならず

元夫の実家に1日お泊まりをする事態になりました。


私も母も元姑に電話で嫌味をお互いに言われていて、

お互い黙っていました。


私が元姑との電話のやり取りで自分の怪我の状態を説明すると、

「私も自転車と車で衝突事故に遭ってるけど、むち打ちだけど。そんなに大袈裟に騒がなかったし、言わなかったわよ。」

「〇〇ちゃん(娘の名前)、そんなにお母様に面倒みてもらってて母親間違えそうね。

あなたのお母様も我が子と勘違いするんじゃない?

って〇〇(元夫の名前)と笑いながら話してたのよ。」

A「うちに預かったときに持ってきたミルク、腐るといけないから返すわね。〇〇(元夫の名前)に持っていかせるわね。」

元夫は馬鹿で、Aのセリフどうりに母に渡しました。

母は驚いて一瞬固まっていました。


言葉に含められた嫌味に気がつかず、まんま伝えた馬鹿な元夫。

空気読め。

人の言葉の裏を読め。


と彼に言いたい。